7月1日の展示開始より一週間遅れで、予定していた新作が全部揃った。
昨夜は徹夜となり、朝方完成作品を撮影し、11:00頃展示会場に搬入セッティングできた。
これでやっと一安心。
『神はためらう、この世の淵で』
深夜とも夜明けともつかぬ、深い海の底を思わせる空の下に、克明に陰影をたたえた壮麗な廃墟。
あるいは、〈この世の花〉と題された一連の作品における、セピア色の光の中で花開き、葉をそよがせ、茎を傾けている植物群。天久高広の描く世界はいつも驚くほど細密を極め、〈この世〉において〈この世〉ならぬ場処の静寂とダイナミズムを告知してきた。
その天久が、天使や悪魔、神話上の動物たちの〈化石〉を〈発掘〉し始めたのはいつ頃からなのだろう。〈死〉や〈滅び〉のさらに向こう側に遺された、天使の髑髏、悪魔の肋骨、一角獣の角…。〈神〉でさえ触れるのをためらう、それらの形象に向ける天久のまなざしは不思議な悼みと慈しみをたたえ、〈化石〉たちは〈この世〉ならぬ明澄な光をおびてゆくのだ。
生野毅
ー悪魔の一種ー
『悪魔の一種』と題した自作の化石で、およそ2億年後、現在の七大陸がまた一つの超大陸パンゲアとなった頃の地球の住人たちによって、現代の文明の化石が発掘されたという設定の中の、悪魔らしき化石の一つである。悪魔にも、デーモンやサターン、デヴィルなど、名のつく者だけでも相当の数になる。悪魔は怪物と同じく半人半獣にデザインされているが、霊界(地獄)に住む。悪虐…を企てたりする。神は人間と同じ姿だが巨人である。神から見ると人間が小人なのであろうが、ゼウス、ポセイドン、ハーデス、アポロやアフロディーテ、みんな天に頭が届くほどの身長である。それらを産んだガイヤ、クラノス、レイヤと言った神は、天であったり大地であったりと地球的な規模の存在になる。悪魔は、ゼウスの兄ハーデスとともに天界を追放された者たちで、ゼウスら神の敵対的存在。私は神と悪魔の違いが善か悪かとは思えない。私は折角日本人なのだからそこはフェアに調べてみて、私の化石制作の糧にしたい。
今回紹介する『悪魔の一種』サターンの化石は、山羊の頭を持ち人間の体にコウモリの翼と言うバフィメットである。タロットカードにも出てくる。ギリシャ神話ではなくキリスト教の中に出てくる異教の神。