僕の似顔絵と、何の関係もないけどバルテュス展!

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4月から某美術研究所に勤めている。残念ながら生徒たちとはあまり接する機会のないポジションだ。チューターと言う業務担当で未経験。しかしながら、作家をやりながら生活の基盤も安定する。責任も今のところは大して無い。来年の春には受験に立ち向かう子供達を、ちょっと近くで眺めながら心做しかの応援が出来る。幸せな事だよ。

生徒たちが、僕の似顔絵を段ボールに描いてくれた、嬉しかったなぁ!

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さて、ご存知の方も多いでしょうが、バルテュスの没後初の回顧展が 6/22 まで、東京都美術館で開催されている。http://balthus2014.jp その後京都市美術館を巡回。
そこに先日、僕も足を運んだ。それはそれは素晴らしい展覧会だった。僕が学生の頃、講師によく「バルテュスを見なさい」と言われていて、その頃から大好きな画家である。それ以後、画集を買い、バルテュスの絵の世界に登場するエミリーブロンテの『嵐が丘』を読んだりした。本物を見る機会は1993年の東京ステーションギャラリーでのバルテュス展にて訪れ、今でも僕の作品作りに大きく影響してくれている。
今回は、2001年に91歳で亡くなられた20世紀最後の巨匠の、その作品たちとまた再会出来る機会。一度は会場の都美館の休館日に足を運んでしまったため見れなかったが、先日の休日にやっと念願叶った。
セピア色の色調の、どこか記憶の奥底に封じ込めていた禁断の世界のようなその絵には、聖なる悪戯、秘事のようなもう一つの現実が存在する。エロスとも言うのかもしれない美の1シーンを、匠な構図センスで組み合わせ、ストーリーを閉じ込める。
写真が当たり前のようにある我々の時代は、その写真を絵の参考やはたまた終点のようにも出来てしまう。上手い絵とは写真みたい。これは最近の画家たちが自問しているカルマともなってしまった。当たり前だが、写真はプロポーションが整っていて、その瞬間々の描写は完璧だから、手本になるのも無理はない。
しかし、写真が普及していない時代の画家たちは、もちろん写真を参考にはしない。絵を描く対象ととことんまで向き合って描く。瞬間を描くわけではなく、陽の移り変わり、時の移り変わりや心の移り変わりをも入念に観察し、そこに見て取れるドラマを描いてゆく。奇を衒い、個性を強調しようともしていない。シンプルに、描いている対象への愛情を注いで描く。色を乗せる筆のひとつひとつに、儚くも美しい繊細な魂が宿る。絵が絵であるための一番大切なものが見つかる。そんなバルテュスの展覧会を、皆さんにも是非見てもらいたい。

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亀と目玉雲

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